おわれるぼうびろく

思考を散らかす練習

【映画】虐殺器官について今更語ろうとした

書きかけのブログの断片があちこちに散らばっていた。このブログをそもそも始めるきっかけとなったのは、2月に映画「虐殺器官」を観たことだった。せっかくもうすぐBD発売なので、記念に(??)書き記しておこうと思う。

 

あくまで個人の思考記録と感想であるため、万が一ご覧いただいた方にはその点のみ留意いただきたい。

 

本文中にネタバレが生じる可能性もある。なるべくしないような表記を心がけるが、もし被弾してしまったらご容赦。

 

そしてこれがこのブログ初の記事になる。

よくもまあ、半年以上放置かましたよね。褒めて欲しい、このズボラさ。

 

感想の前置き

映画化までの経緯に付随する直前までの個人的な期待度

あれほど宣伝打ったりSNS拡散しているなかでわざわざ書くほどのことでもないかな、という気持ちはするけれど一応。

原作は伊藤計劃氏の表題と同じ「虐殺器官」をアニメ映画化したもの。

制作発表当時はマングローブが制作会社となっているが、該当製作会社は自己破産。

その後、制作をジェノスタジオが引き継いでいる。

 

そもそも、今回の映画化は「Project Itoh」と題された伊藤計劃氏の著作をアニメ化する一連のプロジェクト。2015年に全ての映画が公開されるはずであった。

 

 

(※屍者の帝国については円城塔と共著という形になっている)

 

ただ、最初の作品のはずだったこ虐殺器官は前述の制作会社の変更に伴い、結局一番最後に公開される運びとなってしまった。正直もう無理かと思った。

 

個人的には2年程待たされた形になる。

公開してもらえただけで御の字、ぐらいの気持ちだったため非常に甘々な感想になっているためご容赦いただきたい。

 

実は虐殺器官に関しての期待度、正直さほどでもなかった

 

もちろん原作が好きであったし、出演している声優も完全に安心安全信頼の(間違えても棒読みでシリアスな場面を壊したりしない)有名所の方ばかりだったので話題にもなった。

 

ただ、やはりどうしても頭をちらついてしまうのが<harmony/>。

 

正直これについては、全く印象に残らないといっていいほど何も残らなかった。

映像とか演技とかではなく、単純に「あっ、この作品ってこういう風に切り取って映画化しちゃいけなかったんだな」という感想しか出てこなかったことが唯一記憶にある。

 

何がダメとかではなく、こう、どんよりとじめじめと作中に残っていた何か良くないものの雰囲気があった。それは権威に対する不安であったり、主人公のトァンが抱える腹の底の黒い塊とか、戦争の残滓とか、そういった類のものがもっと原作にはあったように思う。

その辺りが「綺麗な映像と綺麗なキャラクターと綺麗な声」ですっかり消失してしまった。クオリティは非常に高かった、間違いない。特に飛行体の動きなんかはもう最高に心が躍った。とはいえ面白さも満足感も、映画が終わってしまうことに対しての軽い喪失感も虚無も。マジで、何も、なかった。何もかもが綺麗すぎ、と個人的には感じた。

 

そんな訳で、不安半分感謝半分(期待がほとんどなかった)で公開初日のレイトショー、劇場で観ることになった。

 

個人的な映画鑑賞時の観点

原作を知っている作品を鑑賞する時にはどうしても「面白いの?」ということではなく

  • そもそも原作とストーリーは同じなの?
  • 違うとしたらそのオリジナル部分の辻褄は合ってるの?
  • 原作の何がどうカットされているの?
  • 映画で一番印象付けたかったことは何なの?

ということを考えてしまう。そもそも原作が面白いから劇場まで行くんであって、その部分は保証されたようなもんじゃんと思っている。失敗したことは多分、まだない。

少なくとも、「おいおいおいチケ代返せや」とはならずに済んでいる。

 

この記事で、この映画が面白いか面白くないかについてはおそらく一切記載はない。と思っている、虐殺器官に関しては。

 

私以外の誰かの感想

このブログはあくまで個人的な偏見まみれの思考に基づく勝手な考察と感想であって、ぶっちゃけ面白さはどうでも良い節がある(前述の通り原作ものは面白いことを前提にして劇場に行っているので)。なので面白かったかどうかは、私自身も他人に聞いてみる必要があるなと思った。

 

実は同日関西にて、当時の彼女がやっぱりレイトショーで虐殺器官を見ていた。彼女の鑑賞当時の状態は

  • 原作未読はおろかSF小説は読まない、ただしSFアニメは好き
  • 虐殺器官を見に行ったのはキャスト重視(ジョン・ポール役の櫻井孝宏氏の大ファンだった)

 という感じ。そして見終わった彼女の直後の感想は

つまらなくはなかった、でも難しくてよく分かんない

とのこと。おっ、凄い端的。

ちなみに彼女の名誉のために書き記しておくと、彼女はかなり専門性の高い知識が必要とされる仕事をしている。なおかつ頭の回転も早く、飲み込みも早い。口喧嘩で勝ったことなかった。まあ今となってはフラれてしまったので本当にどうでもいい情報ではあるが、さておき。

 

何が難しかったのか尋ねると、いわく

地獄も虐殺器官も、何なのかよく分からない

とのこと。

この辺については自身の感想で後述すると思うが、どうやら映画で語られるであろうと予想していたことが全く掴めなかったとのことだった。

 

映画のポスターの表題は「地獄は、この頭の中にある。

 

これについては劇中序盤で登場する台詞である。ここについての言及、全くないのでは?テーマは?結局主人公はどうしてあんな行動を?ジョン・ポールの意図は?という質問を矢継ぎ早に受けた。

そもそも原作も某作家氏に「虐殺器官についての記述がないみたいなものですけど?」という指摘を受けていたようなので、この辺は仕方ないのかも。 

個人的にはだいぶ分かりやすくなってた気がするけれど、やはり原作読了の有無は大きい部分なのかもしれない。

 

SNS上での感想

公開当日の昼間、Twitterで感想をちらほらと検索してみた。もう原作知ってるしネタバレもクソもないだろう、と思ってはいたが意外とガチネタバレは(見る限りでは)無かった。

そこでかなりに目についたのが

エピローグはあったのか?

というツイート。

 

原作の虐殺器官のエピローグ、実はかなり衝撃的で後続の<harmony/>にもつながる大事な要素だったりする。これの有無、公開当日は結構話題になっていたように思う。

無いと思った人には見えず、また、あると思った人には見えるエピローグとは一体…?という若干の前評判のまま見に行った。

 

これについても後述の個人的な感想部分で書いていきたいと思う。

 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

感想本編

ざっくりとした所感

正直なところ、「全然良いじゃん!なにこれ!」というのが大部分の感想。

ストーリーもほとんど踏襲されていた。辻褄もちゃんと合っていて、ちょっと感動すら覚えた。

 

そもそも、媒体としての小説と映画には「物理的な時間制限」という絶対的な差が生じる。小説5ページ分のことが映画内の時間にして数秒、というのは少なくない話だと思う。なので、原作の何かがカットされたり、描写が簡易的になるのはある意味では仕方がないはず。

 

問題は、多分、その原作の何がどうカットされたのか?というところが多くの原作ファンに刺さらなかった時だ。

 

「そのシーンないとこの後の展開ダメじゃない?」とか、「あの演出は結構大事な伏線なのに無いの?」という大きいところから、「この台詞のニュアンスこれで意味合ってんの?」とか、もう気になってしまう作品は全部が気になってしまう。

こうなってしまうと、原作ファンは「これは違う、ズレてる!」という感想以外になくなってしまうのではないかと思う。

(ここに原作未知の人の「話が分からんかった」「全然おもろくない」が重なってしまえば完全に糞映画になってしまうと思っている)

 

そういった意味では虐殺器官のカット、とてもすっきりしていた。清々しいほどに、それはもう、ごっそりカットされている場面がある。

個人的には結構読みながら悩んだ場面であったし、終盤の主人公の行動の核になるのでは?と考えていた部分ではあった。

 

ただ、無ければ無いで割と問題なく見てしまえた。なのでちょっと感動すら覚えた。

是非映画を見てから原作を読んでほしい、と思う。すごく綺麗にまとまっていた。

 

どこにスクリーンの枠を持ってくるか

前述の”違和感なく”見てしまえたことは、おそらく何を印象づけたかったか?あるいは何を描きたかったか?ということがかなり明確に提示されていたからでは、と考えている。そこに違和感が割と無かった、だからすんなり頭に入ってきてしまった。

 

再三になるが、小説にはある意味でたっぷり時間がある。主人公の心情を、悠々と言語の綾で編んでいける。だから主人公の生い立ちも、得も言われぬ複雑な心境も、そのページに詰め込んでしまえる。

原作はどちらかというと、主人公から見た世界と苦悩と自分自身に巣食う地獄、という側面が強かったのではないだろうか。

 

というか、おそらく世の中にるほとんどすべての小説が、主人公の目と心を介してこちら側に伝達されてきているはずだ。

 

一方で映画は、どうしても「カメラ的な視点」が必要とされる。

 

全ての心情を、台詞やモノローグで語るわけにも行かない。

映画において、物語の根幹に係わる機微の描写は、多少こちらに委ねられる部分があるのではないだろうか。表情や声音から、うまくつながるように感情を読み取らなければいけない。というか、読み取れるように作ってある。その機微が一瞬で理解されてしまうのが映像というメディアの強みだな、と常々感じるのだが、それは逸脱が過ぎるので割愛。

 

ともかく、この虐殺器官はその「カメラ的視点」が上手く使われたのではないかと思った。もちろん、主人公のクラヴィス・シェパードの心情描写で一貫して映画は終わる。それに違いはないのだけれど、主人公と戦争、主人公と敵対するもの、主人公と愛する人がそれぞれ映画のスクリーンの枠に収まっているのだ。

 

つまり、虐殺器官の映画は主人公と常に隣接している世界を描写することで生まれ見えてくる地獄の描写の側面が強かったのではと思う。

ラヴィスの苦悩の描写、もちろん無い訳ではなかった。ただ、描きたいのはそこではない。端的に書いてしまうと、「虐殺器官を取り巻く人々」と書けるのだろうか。

 

だから、なんだろうな。クラヴィスもジョン・ポールも他の登場人物のことも世界のことも、沢山描きたいことがあって。ただ、原作通りに描写していては圧倒的に時間が足りない。じゃあ何をなくすか?突出して多くなっていた主人公自身の苦悩を、簡易的に、かつ観客側に委ねることでその部分の描写を軽くしているとでも書けば判りやすいか。

 

地獄のような光景も状況も、全て提示した。その上で、彼の地獄をこちら側で判断しなければならない。彼は、彼女をそこまでして追わなければ行けない何かがあったんだと。

 

主人公の頭の中の地獄は、こちら側に委ねられている。それで良かったんだと思う。何かをカットするとなれば、そこ以外に、こちら側で補完出来る部分は無かったとすら思えた。そういった意味で、虐殺器官という映画は本当に枠の捉え方が巧みだった。凄い映画だった。

 

逆にこのことで、私の当時の彼女の混乱が多分生まれてしまった。

 

心情描写はあるくせに、肝心の地獄が何なのかの描写が本当に無かった。酷い戦場や環境が、ありとあらゆる状態で提示される。にも拘わらず、地獄そのものは明確に描かれずに終わった。だからよく分かんない、と。そういうことだったんじゃないかと思う。

 

多分、地獄が何なのかではなく、各々の頭の中の地獄をどうしていくか?という主題で捉えたほうが理解しやすい映画なのでは。

 

その他に感じたこ

すこぶる映像は綺麗で、かなりクオリティが高いアニメ映画だと思う。

ただ、ジョン・ポール役の櫻井孝宏氏はどうしてもPSYCHO-PASS槙島聖護が頭を過ってしまって仕方なかった。まあだいぶ方向性の違う人間だとは思うけれども、知的で狡猾なキャラは最高に素敵だった。ずるいなあ、声の力は本当にずるい。一気に生気と、空気をまとってしまう。大変狡くて、心底素敵な敵対役でした。

 

あとはちょっと話題になっていたエピローグ。あれは、どう考えても私はあると思った。描かなくても「あ、これ絶対そうなるな」と思わせる終わり方だった。いやー、巧いな!すげー!と終幕後の劇場で独り大興奮していたのだが、見方によってはやはり何をしているのか分からない人も居たのかもしれない。

 

ただ、私にはエピローグは確実にあった

その場で続編の<harmony/>をもう一回見ても良いかもしれない、とさえ思う程にはあった。

 

雑なまとめ

総じて書いてしまうと、凄くいい映画でした。ちょっと「これは勝ったな!」ぐらいの気持ちにはなった。何と戦っていたかは不明だが、本当、よくぞやってくれた!ありがとう!

 

制作会社の紆余曲折を経て、初作にも拘わらず最後に公開されてしまった映画。

その経過があったからこそ最後、幕切れの暗転直前のシーンのクラヴィスのあの一言がとても、本当にとても重みがある言葉だった。あの台詞のために2年待った、と思ってもいいぐらい。原作物の映画でも、かなり満足度が高かった。

 

伊藤計劃氏に興味をもった人がいたら、ぜひ一番最初の足がかりにしてほしい作品でした。映画を見てから原作、という順序なら原作も割と分かりやすいと思う。

 

因みに円盤発売は10月25日。ぜひとも色んな人に見て欲しい映画です。


映画「虐殺器官」10.25 Blu-ray&DVD発売記念!東京国際映画祭2016上映版”冒頭ハイライトシーン”